発達

みんないい子だよ。

子育て相談を受け付けております。1人で抱え込まず、気軽に気持ちを言えたり、悩みを相談できる場所作りをしたいと思っています。

猫の行動から

突然ですが、うちには猫がいます。

猫が身近にいる方は、ご存知だと思いますが、猫は、じーっとこちらを見てくることがあります。

でも、突然そらします。

猫を飼って間もない頃は、嫌われているのだろうかと思いましたが、そうではなく、猫にとっては、目を合わせ続けることは、敵意がある時や、喧嘩をする時だそうです。

なので、敵意のない相手や、安心な相手対しては目をそらすのだそうです。

なので、目を合わせるということは、喧嘩や争いになるので、怖いということです。

それを知って、恐らく職業病なのでしょうが、自閉スペクトラム症の人が、目合わせが苦手なのは、同じような心理が働いているのではないかと思いました。目を合わせたら怖い。そう思っているのでは?

とはいえ、人間なので、目合わせすることは、コミュニケーションの上で大事なことなため、慣れていく必要があります。

なので、目を見るよう、声掛けをしていく必要性はあるのですが、その根底に怖いって思ってるのかもなって、周りの人が思って関わるのと、これ特性だからとか、なんで目くらい合わせられないのだろうと思って関わるのでは、大きく違うのではないかと思っています。

自閉スペクトラム症の方は、空気が読めないと言いますが、それは、言葉とか、絵とか、文字とか実際聞くものや見るものの裏に隠れているものが読み取れない、だって、聞こえたものや見たものが真実だよねと思うだけで、実際、人の様子や動きはすごく見ていて、気持ちを分かって接してくれる人と、そうじゃない人の見分けはとても上手だと思います。ある意味空気読むの上手です。だから、人が多すぎるところが苦手とか、特定の音や感覚が苦手だったりもする、とても繊細なんですよね。

だからこそ、ネガティブなことはよく覚えていたりもするわけです。

初めは、目を合わせてと言われるから仕方なく合わせていても、合わせることに慣れ、安心と思える存在になり、共感することに繋がっていく。そして、共感することは、人との関わりにおいて、大切で、信頼、協力、相手を思うことなど、徐々にレベルアップした関係を築くことに繋がります。

目合わせに限らず、どういう気持ちでの行動なのか、考えながら接していくのは大切ですね。

自閉スペクトラム症の方についてだけでなく、全ての人に対して。

普通だと思っている自分も、実は、相手の立場に立てていないのではないか、そういう視点でいることが、人間関係に不可欠なのではないかと思っています。

 

韓国ドラマより②

韓国ドラマ『サイコだけど大丈夫』全部観ました。

最後の方は泣いてしまいました。

精神病院が舞台になっているだけに、心に負った傷が沢山描かれますが、普通の振りをして、みんな頑張ってるのではなかろうかと考えさせられました。

主人公の病院の職員も、その1人。

前回、私が観たところまでの話で、お母さんが自閉スペクトラム症の兄のために産んだと言ったと書きましたが、あの後、母は撤回はしないですが、弟をちゃんと可愛がるシーンが出てきてホッとしたのと、最後に兄が「僕の面倒見るために弟がいるんじゃない」と断言したので、そこもすっきり。

子どもの頃、弟が自分の話したいことがあって、喜んで帰って来たら、兄を放っておいた事を母に怒られ、台無しになった時、「お兄ちゃんなんて居なくなればいい」と言ったことがあり、兄が氷の池に落ちた時に一旦弟が立ち去ってしまったことがあるのですが、それを兄は忘れていると思っていたのに、居なくなればいいと言ったとはっきり覚えています。氷の池では、結局助けに行って、弟が落ちてしまい、助かった兄はそのまま帰ってしまうのですが、池に落ちた時に死ねばいいと思って立ち去ったというふうに記憶されています。

自閉スペクトラム症の人は、ネガティブな記憶は鮮明に残ると言われているので、そこも細かく描写されているのだと思いました。

兄は、絵が得意で精神病院の壁面や、童話作家である、ヒロインの女の人の絵本の絵も描くことになるのですが、表情が分からないから絵に描くことが出来ないとか、自分がしてもらったことなら分かって、対応できるとか、ほんとに特性が細かく表されていることに驚きます。

ちなみに精神病院の入院病棟を知っている人に聞いたら、精神病院の様子も非常に細かく再現されていることが分かりました。

そして、ほんとに兄が素晴らしすぎるのです。

兄としてのプライドを持っているというのは、前回も書いたのですが、ほんとにそれが強くて、ちゃんと弟を守るし、表情も描けるようになるし、トラウマからも脱出します。

ピュアで、言っていることは、いつも正しく、可愛さもある、

そんな兄に弟は、心から兄がいてくれて良かったと伝える。

兄は兄らしく、抱きしめて背中をトントンする。

ヒロインとの関係も、とても複雑なのですが、弟の恋人になったことで、妹が増えたから守る人が2人になったと言い、その複雑な関係のことで、すごく落ち込むヒロインを心配して、ご飯を食べさせてあげる。(兄は事情を知らないのですが)

もう、ほんとに涙腺が刺激されっ放しでした。

ヒロインは、心はまだ愛を求める子どもということもあり、ほんとに考えさせられる内容でした。

自閉スペクトラム症についても、特性が当てはまるところ当てはまらないところがどんな方でもあると思いますが、言葉がある自閉スペクトラム症の特性が余すところなく表されているかなと思います。(何度も書いてますが…)

この文章だけだと、兄は弟に不信感あるのでは?とか、疑問があると思うので、是非観てもらいたいです。

 

人の価値観について

職員と、日本の教育は、点数を取れば高ければ高いほど良いという価値観を植え付けられているという話をしました。

何かの試験を受けるとして、合格点70だったとしても、日本人は100を目指す。そんなの日本人だけだよと。外国人は、70なら70取ればいいじゃんって。

確かに。常に数字に操られていた気がします。

向上心とか、自分がどれくらいできるか試すという意味ではいい気もするのですが、そこに縛られて、良い点、良い順位を取らないと親に叱られるとか、先生に評価して貰えないとか、何となく気持ちが追い込まれていたように思います。

通知表、内申点など、数字で人の評価が決まって来ました。点数が高い人は価値が高い人とまでは行かなくても、何となく優等生は良いイメージですよね。

知能検査でも同じことが言えて、私の職場に通っているお子さん達も発達検査を定期的に受けてきます。

その数字に一喜一憂される保護者さんも多いです。

良い場合は、問題ないのですが、思ったより悪かった場合、「もう少し上がってると思ったのに…」そう言って、落ち込んでいらっしゃる姿をたびたび目にします。

保護者さんがそう思われるのは、いつも見ていて、何らかの根拠があると思います。

なので、私も私が知っている限りでお子さんが伸びたところをお伝えするようにしています。

でも、もしかしてただの慰めだと思われていたら?と思うこともあります。

お子さんの伸びたところやいいところは、数字に表れない場合もあります。

発達検査の結果がすべてではないのです。

でも、数字が良いことがいいという価値観を植え付けられている私たちは、そこについとらわれてしまいがちです。(私たちと書きましたが、私が保護者さんにお子さんのことをお話する時は、数字ではないほんとの姿をお伝えしています。)

数字は目安にはなりますが、子どものすべてではありません。例えば、社会性、優しさ、共感性の適度な高さ、そういうことは、数字には、表れません。

社会に出た時に必要になるのは、数字で出るものか、それ以外のものかどちらでしょう。

両方兼ね備えているのが1番ですが、どちらか選ぶとしたら?

私が普段関わることの多い自閉症スペクトラムのお子さんは、そこに困り事を抱えていることが多いです。

そこを少しでも克服していく(薄めていく)ことが、生きづらさを少なくしていくことになります。

そのためには、人に興味を持つこと、共感することが大切です。それがないと、人の気持ちを考える、空気を読むなどは難しいです。

まずは、自分の世界から視野を広げて、もっと楽しいことあるということを知らせていかないといけないですね。

人を意識することなども、点数を上げるために、話を聞けるようにしようという目的とは少し違って、人としてというところに重きを置けたらと思っています。

植え付けられた価値観を払拭するのは、なかなか難しいですが、人間らしい生き方をしていきたいと思います。

 

韓国ドラマより

コロナ禍、家にいる人が多いので、韓国ドラマにハマる人が多いらしい。

そんな話を人事のように聞いていたのですが、観だしたら、面白いんですよね。

私も例に漏れずハマってしまいました。

そして、今観ているのが『サイコだけど大丈夫』まだ途中ですが、登場人物の幼少期に歪みやつらさがあります。

精神病院の保護師(看護師?)の男性の兄は、自閉症で、母が、兄のことばかりを気遣うのを切なそうに見つめています。

ある日、夜中に目を覚ますと、母が抱きしめてくれるのですが、「お兄ちゃんのことをお願いね。あなたはそのために産んだのだから」と言われます。えーそれ言うの?そのために産んだとか言っちゃうの?切ない気持ちになりました。韓国っぽいと言えばそうかもしれないですが。

それでも母の愛を求めて、兄の方を向いて彼に背中を向けて寝ている母に寄り添うシーンがあります。

そんな母も亡くなってしまい、彼は大泣き。でも、兄はよく分かってなくて、独り言をずっと言っています。

兄弟2人とも悪くないし、仲良く暮らしていくし、兄は兄としてのプライドを持ってるし、でも、弟の言うことは聞かなければいけないとも思っているという良い関係だと思います。

そして、もうひとつの驚きは、自閉症の特性の描写が凄いです。

日本のドラマでは、なんか違うなぁって感じることばかりだったけど、このドラマでは、特性を的確に演じられています。

自閉症を知らない人にも、知っていただくきっかけになったらいいなとも思いました。

兄が大好きな絵本作家の女性の育ちの全貌は、まだ観ていませんが、どうやらかなり歪んだ育てられ方をしているようです。

絵本の内容も、夢のある内容ではありません。

メッセージはあるようですが。

そんな、絵本作家の女性は、保護師の彼の初恋の人っぽい。

ストーリーも気になるところなんですが、自閉症についてや、生い立ちと精神障害との関連性など、考えるところがいろいろありそうなドラマです。

韓国ドラマに単純にハマると思いつつも、何だかいろいろ考える予感がしつつ、楽しんで観ていこうと思っています。

今から観る人には、かなりのネタバレかもしれないですが、まだ半分も観ていないと思うので、気になる方はぜひ、観てみてください。

(私は、Netflixで観ています。)

今後の展開について、また書いていこうと思っていますが、私が考えさせられるドラマになりそうと思っているだけなので、違ったらこの続きはないかもしれません(笑)

いい子って?

みんないい子だよというタイトルがブログについていますが、これは、しまじろうのビデオ(昔)の冒頭の一言(今もそうかな?)で、私が保育士や幼稚園教諭をしてて、ほんとにそうだと思ったので、タイトルとして勝手に頂いています。

すーごいきれいごとのように聞こえるかもしれませんが、誰ひとりとして、いい子と思えない子はいませんでした。

いじわるにも理由があるし、泣き虫には、我慢しきれないことがあるし、ゆっくりさんも、あわてんぼさんもみんなみんな理由があり、いい所が必ずあります。

とはいえ、保育園で働き始めたばかりの頃は、毎日をこなしていくのが精一杯で、正直、子どもが可愛いと思える余裕がありませんでした。

余裕がない時期を超えた時に、子どもの可愛さを改めて感じ、子ども達に「ごめんね」という気持ちでいっぱいになりました。

新卒で、受け持った1、2歳児クラスの子の数ヶ月、すごく勿体ないことをしたと思っています。後に、その子達が大きくなって、年中クラスで再び担任になれたので、自分的には取り返すことは出来たと思ってるのですが、どう思っていたのだろうかと気になります。

それはさておき、我が子となるとどうでしょうか。

人に迷惑かけない子になってほしい、友達が多い子になって欲しいなど、親にはなってほしい子ども像があると思います。

そうなると、親が気になる行動を子どもがとった時に、その悪い所に目が行きがちになります。子どもに愛情あってのことです。

良い行動は、何故か普通のことに捉えてしまい、悪い行動は、気になってしまいます。

良い行動に注目することが近い存在な故に、難しくなり、悪い行動への注目が強くなっている状態です。

でも、それは、親本人はなかなか気付きにくいものです。

最近、叱ることが増えたともし感じられたら、家族ではない第三者で、なおかつ、お子さんの様子をよく知っている人に、お子さんの長所を聞いてみることをおすすめします。

きっと、当たり前に思っていたことや、気付かなかった所を教えてもらえると思います。

もしかしたら、些細なことかもしれませんが、第三者から見たら、お子さんの素敵な所として感じられているということです。

ちょっとしたことでも褒めてもらえることによってお子さんも嬉しいでしょうし、叱られていることが多かったとしたら、少しやる気がなくなっていたこともやる気が起きるきっかけになったり、もっと褒めてもらおうと、良い行動をしようとするかもしれません。しようとしたことだけで、結果、失敗でも構いません。やろうとしたことをほめてあげればいいのです。

いい子の定義は、人それぞれです。そして、子どもにもよります。いい所、ひとつでもあれば、いい子だと私は思っています。

就学先決定と学校との付き合い

どこの小学校の就学時健診が終わったのではないでしょうか?

年長さんの保護者さんは、就学先についてずいぶん迷われたことと思います。

以前は、就学時健診までに決めて欲しいと言われる学校が大半でしたが、最近は年末までとか、2月まで猶予がもらえる学校が増えました。(自治体にもよると思いますが。教育委員会の判定が出る自治体もありますよね。)

インクルーシブ教育、地域で生活していくなどの流れになってからもうかなりの年月が経っているのにも関わらず、なかなか進んでいないのが現実ですし、通級を使いたくても全部の学校にあるわけでもないです。そして、他の学校で通級をしようと思うと親が送迎、往復の時間は授業の時間が削られてしまうなど、問題がありますね。そして、通級の頻度や内容も学校によって差があるという、なんとももどかしい感じです。

中学もさらに、通級のある学校が少ないので、なかなか利用が難しいようです。

先日、同業の友人から、高校受験を視野に入れ、中学から普通級に行ったものの、負担が大きく不登校気味になってしまったお子さんがいると聞きました。親子共に頑張ってやっていこうという思いがあっただろうに、過ごしにくかったのだろうと推測しました。もちろん、すべてのお子さんに当てはまるわけではないので、上手くやっていける場合もあると思いますが、心のよりどころになるような場所が、学校にないとキツいこともあるかなと思います。

不親切なこと、理不尽なことを就学先を決める時期になると多々聞きます。

それを聞く度に切ない思いになっているのですが、逆に学校に任せておけないという感情も同時に出てきます。

保護者さんの中には、学校にあまり言いすぎるとモンスターペアレントと思われるのではないかという不安も聞きますが、モンスターペアレントは、無理なことを自分の都合で言う親であると思うので、子どものために、先生に特性を知って貰うこと、少し配慮したいことを言うのは、それに当たらないと思います。あと、親の方も先生に協力し、家で出来そうなこと、例えば予習、復習、人と接する時の言葉使いを教えるなど、行なって、要求ばかりにならないことが、学校生活のサポートになると思います。親が協力する姿勢を見せた上で、先生にいろいろ伝えることで、先生も巻き込んじゃいましょう。

また別の話になりますが、今時の祖父母は、ある程度理解があるかと思えば、そうでも無いようで、支援を受けることが、将来の結婚とかに影響するのではないかを懸念して、反対をする話もよく聞きます。何が正解かはないとは思いますし、分からないですが、決定権が親にあるのは、子どものことを1番分かっている存在だという理由だと思いますので、翻弄されないように自分の目を信じて決めて行けば良いと思っています。

こう書くと、親の責任重いってなるかもしれませんが、前述の通り、正解は分かりません。

1年ごとの見直しも出来るはずなので、子どもの姿を見ること、自分の思いだけが優先になっていないかなど見ながら、決めていきましょう。

 

私のこと

私は、小学生の頃から保育士(当時保母)になりたいと思っていました。小学校の卒業文集の将来の夢にも書いてます。

中学の時の担任に進学校に行ってガッツリ勉強しないとなれないと言われ、1度は諦めたけど、普通の高校に行ってもなれることが分かって、夢は再燃。進学しました。

実習は、保育園、幼稚園、施設の順。保育園、幼稚園は、ほぼイメージ通り。子どもの方からどんどん寄ってきてくれました。

施設実習、母子通園に行ったのですが、自分からは来てくれないし、むしろ、警戒か、目に入っていない状態にびっくりしてしまいました。

今までの実習で、子どもから来てくれるのが当たり前と思っていたからです。

自分から働きかけてもなかなか心を開いてくれず、1週間が過ぎました。接し方も下手だったんでしょうね。職員の方も正解は無いからと、具体的な方法を教えてくれず。

そこの通園では毎朝、朝の会で大きなボードにシールを貼りに行くのですが、2週間目に褒めた私の顔見て笑ってくれた子に、キューンとなってしまいました。なんて可愛い。

でも、その時の私は、保育園で働きたいってことしか眼中になく、就職は、保育園でしました。

でも、施設実習のこと、頭から離れていなくて、転職を考えました。でも、超ド田舎には、就職先がなく、引越しも考え、当時の保育園の園長先生にも相談させて頂き、保育園の退職の申し出のタイミングが、施設の就職が決まるタイミングより遅いことを心配して頂き、公立保育園だったので、取り消しなんてことも簡単にできないとか、そんなこんなで、諦め、結婚決まってとかで、結局、そのタイミングでは、転職はしませんでした。

数年後、幼稚園で働くことになり、そこで診断とか受けてないものの、たびたび気になる子に出会いました。

みんなが話を聞く時に話し出してしまう、個別の声掛けが必要、教材に明らかについて来れていない、自由遊びの時間は、自由画帳にずっとカレンダーを書き続けてる、部屋から出て、園内のどこかに行ってしまう、場面緘黙などなど。

視覚支援をしたり、こまめに声をかけたり、自分の思いつく限りのことはやっていましたが、これでいいのか、いつも迷っていました。

そこでまた、私の転職欲が湧いてきたのです。

その頃には、初めに転職しようと思った時から10年くらい経っていて、就職先にも幅が出来ていました。

幸いにも転職でき、色々な福祉の仕事に携わることが出来ました。

保育園、育児、幼稚園、福祉職全てのことが糧となっていると思うと、タイミングってあるのだなと思います。

そして、子どもを育てていると思っていた自分が育てられていたのですね。

今、転職から12年目、まだまだ日々勉強。

頑張っていきます。