言葉の難しさ
言葉、特に日本語は難しいと言われます。
日本語の場合、最後に結論が来るので、最後まで聞かないと分からないという所で、聞く難しさもありますね。子どもと遊ぶ時の焦らしみたいなところに使うには面白いな〜と思いますが。
でも、学習や制作など、幼児期から、学童期、そして大人になっても最後まで話を聞くというのが求められます。
ちょっとした周りからの刺激(目に入るもの、音)だったり、何か思い出したりして、その思いにふけってしまうと、話を聞いていないというのは、誰でも少なからずあると思いますが、ADHDなど、注意力の障害があると、なおさら聞いていられないと思います。とはいえ、エネルギーはいりますが、本人の意識により、軽減はできます。そのためのトレーニングをするため、療育という場があるのです。
そして、たとえキチンと聞けたとしても、言葉を聞く経験が大事です。
例えば、歳を聞かれる場合、「何歳?」ときかれたら答えられるけど、「いくつ?」ときかれたら分からない。数をきかれるとき、「これ何個?」ときかれたら答えられるけど、「何個あるかな?」ときかれたら分からないなど。同じことをきかれていても、言葉や順番が違うと理解出来ない。そんなことがありまれんか?
人のくせとして、同じ言葉を使う傾向があります。まだ言葉の理解が難しい時は、同じ言葉で、理解を促す必要がありますが、ある程度分かるようになったら、色んな言葉を聞かせる経験を積みましょう。
同音異義語も同じことが言えますね。同じこと音だけど、違う意味の言葉があることを、知らせていかないといけないですね。これが分かると、結構子どもはハマって楽しくなって、他にもそういう言葉がないかなと興味が湧く場合もあります。そういう時がチャンス、たくさん覚えさせてあげましょう。
知識が増えることにより、分かることが増え、言われていることも分かり、意欲に繋げることが出来たらいいですね。
紆余曲折あると思いますが、経験は、どこかに行くということばかりでなく、普段の生活にたくさん転がってるいます。
無駄かもと思える時間で意外な収穫もあるかもしれません。
よく、人との出会いに無駄はひとつも無い、何かその人に会った意味があると言いますが、毎日の時間にも同じことがいえるかもしれませんね。