発達

みんないい子だよ。

子育て相談を受け付けております。1人で抱え込まず、気軽に気持ちを言えたり、悩みを相談できる場所作りをしたいと思っています。

障害受容の気持ち

とても久しぶりです。

今日もつらつらと書いてみようと思います。

6月7日、私の実父がこの世を去りました。

歳も歳だし、少し前に脳梗塞になり、一応は治った事にはなっていましたが、それから体調不良と回復を繰り返していたので、そんなに長くはないだろうなと思ってはいました。

でも、6月4日はとても元気にしていたのです。それなのに急変して、血圧低下し、そのまま逝ってしまったのです。

当日、危篤となり、仕事早退し、実家のある隣県の病院まで急いで向かったのですが、間に合いませんでした。

現実を知った時は涙が止まりませんでした。

でも、いざ遺体と対面した時、眠っているようで、現実をまるで受け入れられませんでした。

自宅に戻ったあともそうで、もう命はなくなっていると知っているのに起き上がるのではないかと期待し、話しかける自分がいました。

 

今から思うと、その気持ちは、自分の子どもに障害がありますと言われたばかりの親の気持ちと類似しているのではないかと思います。

私自身の中で受け入れをしなければと思いつつも期待する親の気持ちというものを分かっているつもりでいました。

受け入れる気持ちと、でもなぜ?と悲観する気持ちとか、大丈夫じゃないかと期待する気持ちそこを行ったり来たりしてるんだろうと。

でも、その気持ちを実体験したことはなく、本当の気持ちは分かっていなかったんだと思います。

なんかおかしいとは思ったり、心配はしていても、成長とともに良くなっていくだろうと思っていたり、何となく何か言われるのではないかと思っていて療育センターや病院を受診したものの、実際に障害あります(あるかも)と言われたら、突然現実を突きつけられた感じですよね。

まして、違和感なく育てていた親にとっては検診などで突然、療育センターに行くように言われた場合は、晴天の霹靂ですよね。

そして、その後、長い葛藤か続くのです。

 

父の死のような悲しい出来事よって、気持ちが分かるというのはとても皮肉な事だなとは思います。

でも、本当に親と類似した気持ちが分かったこと父からのプレゼントかなと思うようにします。

そして、私のこれからの保護者との関わりに生きてくるものだと思います。

保護者と障害受容について話をする時、いつも父のことを思い出すのだと思います。本当に共感できることで、保護者の安心に繋がると良いと思いますし、私の父への感謝の気持ちにも繋がると思います。

全く自分の中のことですが、この小さな気持ちの変化で、保護者の気持ちを軽くできると嬉しいです。

 

愛着形成について

愛着形成について前回少し触れました。

安心できる存在、安全基地と思える存在が愛着です。

産まれた時からそばにいて、愛情を持って色々とお世話する、例えばお腹が空いたらミルク、オムツが汚れたら交換する、眠い時はだっこするなどしていたら、自然に形成されます。

ボウルビィの実験で、赤ちゃん猿の近くにミルクのついた針金人形と、ミルクなしのふかふかの人形のふたつを置いておいたら、赤ちゃん猿の行動を観察したものがあります。

赤ちゃん猿はどちらに行くと思いますか?

 

赤ちゃん猿は、ふかふかの方に行き、お腹が空いたらミルクのある方へ、そして飲み終わったらまたふかふかの方に戻るそうです。

お腹を満たしてあげるのはもちろん大事なのですが、生命を維持するための最低限の行為ということです。

それよりも温もりをより求めるということが証明されています。

 

人間もやはり同じでたくさん触れることが大切ということが言えます。

赤ちゃんの時は、歩けないので抱っこせざるを得ません。

では、いつまでだっこしますか?

 

3歳まで?

5歳まで?

答えは明確にはありません。

大人が決めることではないからです。

子どもが求めるまでしてあげましょう。

年長さんくらいになるともう大きくなってきて重いんですけど、「もう大きいからやめて」なんて言わないで少しの時間でも抱っこしてあげてください。

腰が痛いなど、持病がある場合は無理は良くないので、手を繋いだり抱きしめたりしてあげましょう。ちょっと身体が触れているだけでも全然違います。

夏なんて暑いですけど大人から突き放すのは、望ましくないです。

 

少し話がズレましたが、安全基地が出来ることで子どもは安心していろんなことに挑戦できます。

どんな自分でも受け入れてくれる存在が居ることは精神の安定になり、頑張りに繋がり、力の発揮に繋がり、自信に繋がっていくのです。

 

自閉症スペクトラムのお子さんの場合は、愛着形成が上手くいかないことが多いです。

人を人と認識するのに時間がかかるからです。

やって欲しいことがあると、大人の手を持ってやって欲しいところに持っていく、クレーン現象というものがありますが、手だけを見ている(手しかないと思っている)ので、それがお母さんであろうとお父さんであろうと知らない人であろうと関係ありません。

そういった場合、母子分離は容易です。

でも、それが一生続くのか、割と早い段階で安全基地を意識できるかは、周りの働きかけ次第です。

沢山働きかけ、人を意識出来るようにすることにより人を意識し、いつも近くにいる自分を大事にしてくれる安心できる人を認識すると、母子分離がし難くなります。

それは一見困った行動に見えるかと思います。

でも、成長したからこそなのです。

私の周りにも年少のお子さんで最近母子分離で泣くようになったお子さんがいますが、人を見る目や対応の仕方に変化が起きたことが分かります。

愛着形成の大切さがよくわかります。

 

イヤイヤ期について

随分ご無沙汰していました。

仕事とプライベートとバタバタしておりました。

前回の記事の通り異動になりまして、体調も優れず、親の体調も優れずみたいな感じでした。

ちょっとまた軌道に乗ってきたので、再開します。

とはいえ、マメにとかいかないと思いますが。

 

それはさておき。

発達は前進するばかりではなく、出来なくなることもあるというのは、以前も書いていると思いますが、今日はイヤイヤ期について書いていこうと思います。

この前までよく言うことを聞いていた(ある程度コントロールできた)のに、何でもイヤ。

魔の時期ですね。

本音を言うとちょっとめんどくさくなってしまいますよね。

それは誰でもあることで時期が来たらすぎていきますよとよく書いてあると思います。

時期が来たらっていつ????

そう思うとストレスにすらなると思います。

正しく、この前までできていた親の言うことを素直に聞くことそれが出来なくなるそういうタイプの発達です。

視野が広がってくると、自分の世界をもっと広げたくなるし、自分のしたいことができてきます。今までみたいに言われるがままにしたくなくなるのです。

小さい頃の方が楽だった…そんな声が聞こえてきそうです。

それがいつまでか、個人差があるので見通しは立ちません。

でも、しつけようとすると逆効果で、双方疲れてしまいます。

この時期は、思い切って、人に迷惑かけたり危険がない限り、いやなのね〜で過ぎていっていいと思います。(ちなみに保育者や療育者は迷惑と思ってないのでポーンと預けちゃって下さい!)

例えばお風呂入るのイヤってなった時、1度引いてみたら、子どもが慌てて入ると言い出すかもしれません。早く入れたいという焦りが大人にあるともっと入りたくなくなります。

 

そして、もうひとつ重要なのは、イヤイヤ期がない方が怖いこともあるということです。

ずっと従順に育って、イヤというタイミングをなくしてしまった場合、思春期で大爆発という例は少なくありません。

思春期は、ただでさえ反抗する時期ではありますが、輪をかけて暴れたり、暴言があまりにも酷かったりということです。

自分より大きな子に暴れられたらと思うとどうしようもないですよね。

イヤイヤ期を貯金しておくより、小さいうちに使ってしまった方が後々良いということです。

また、イヤと言える安心した環境に子どもがいるということです。

愛着という言葉よく聞くと思いますが、愛着形成がされているからこそのイヤイヤ期。

信頼できる関係性が出来ているということです。

 

 

感謝の意

今の私の仕事。

児童発達支援管理責任者。

私が働いている会社では、保護者さんのお話を聞いて、実際の支援との照らし合わせ、情報交換をするため、保護者さんと話すことが1番の仕事になっています。

保護者さんの話を聞いて、時に傾聴、時にアドバイスなどなど。

最近になって、私の思っていたことが違っていたことに気付きました。

保護者さんとお話をすることにより、誰にも話せないことを聞いたり、家での過ごし方のヒントを少しでも得てもらうことにより、保護者さんの気持ちが楽になって楽しく子育てできるように、そのお手伝いをできたらいいなと思ってきました。

たまには、子どもの話から離れて雑談することでストレス発散になればいいなと。

もちろん、その気持ちは変わらないのですが…

私も助けられていたのです。

私は4年前に立ち上げから同じ事業所にいたのですが、異動になりました。

同じサービスで場所が変わるだけなので業務的には変わらないのですが、前任者と私のキャラの違いが大きすぎること、話の仕方うまさでは敵わないこと、それがとても心配でした。

いざ、異動にしてみたら、アウェイ感は少なく、とても安心したのですが、それ以上にもっと私を救ってくれたことがあったのです。

うちの会社は卒業した方に、アンケートを送るのですが、その答えがー

ほんとに私を救ってくれています。

私は私のやり方でやっていけばいいんだなと、私に思わせてくれました。

今まで、自分が保護者さんの力になることばかり考えていましたが、実は保護者さんの言葉に私も救われていたのです。

異動をしたことで、不安で仕方なかった私の心を救ってくれたのは保護者さんでした。

ほんとに感謝の意しかありません。

大きな思い上がりをしていたんだなと思います。

これからも、保護者さん達の言葉が私の心の支えになっていくことでしょう。

 

立場が違うというだけで、人と人のコミュニケーションには変わりなく、また、私は一つ成長させて頂きました。

 

お子さんの事例から

梅雨時でもあり、気圧が不安定なこの頃。しかも新学期の疲れが出る頃でもあります。

それが、体調面に出るのか、心の面に出るのかというのは、お子さんによって違いますね。

年長さんは特にやもう大きいんだからと言われて頑張るものの、まだ5歳や6歳ですもんね。

限界ありますよね。

先日、兄弟の兄の方が、ごっこ遊びの最中に、「僕は本当は弟がいいんだ」と言っていたと担当の先生から聞きました。

また、違うお子さんは幼稚園に行きたくないと言っていたそうですが、理由は「先生が鬼ごっこに誘って来てやらなきゃ行けないのが嫌だ」ということでした。

大人はこどもを乗せるためや、大きくなった意識付けをするために年長になることやお兄ちゃんだから、頑張ってなど言ったり、園の先生はお友達と遊べない様子を何とかしようと思って遊びに誘うようにしたりするわけですが、思わぬ苦痛を与えていることがあるということを最近改めて思っています。

何故苦痛になってしまうのか。

それは、なぜそう言われるのか、なぜやらなければいけないのかということが、子どもの中で理解されていないからです。

例えば年長になることを、ずっと憧れて楽しみにしていたお子さんでも、なんで?って聞かれたら、かっこいい(かっこよく見えた)からということでしょう。いざ、自分が年長になってみたら、あれ?あまり何も変わらない。むしろ忙しい毎日になって大変になったとしたら、頑張れるのは、長くて2ヶ月くらいだと思います。モチベーション上げるための効果はすぐに終了です。

誰かを面倒見てあげたいとか、これが出来るようになりたいとかいった目的があれば別ですけどね。

兄弟の場合も同じですね。お兄ちゃんやお姉ちゃんとはいえ、まだ幼児だったり、年が近い場合は、不公平さを感じると思います。この場合も下の子が大好きで大好きでってことなら、喜んで上の子の役割を果たしてくれるでしょう。

園への行きしぶりの件でも、まだそんなに仲良くないお友達と遊ばないといけないことに違和感を感じたのでしょう。

この3つの事例に共通することは、必要性です。

自分の中に目的やメリットがないのにただ年が少し上なだけで負担が増える。そう思ったらやりたくないですね。1つ目2つ目のじれいがそうですね。3つ目の事例のお子さんは、1人で遊ぶ方が好きなお子さんなので、メリットないですよね。

さて、どうやってメリットを持たせていくか。それは、人のためになんかしてあげたい、一緒に遊びたいそう思えることです。

小さいお子さんには、難しいことですが、まずは大好きになること。

私の話の中によく出てくる自閉スペクトラム症のお子さんの場合、余計に人が大好きということを感じにくく、相手が自分のことを思ってくれていることも感じにくいので、こちらの思いは恩着せがまじくなく、ストレートに伝えること、できるだけたくさんの大人と関わって、味方が沢山いることを知って、まず、大好きな大人を増やすことが大事です。

家族の場合は、どの子も大切。可能であれば、5分でいいので、親子2人きりの時間を作る。

園や療育施設の先生は、まだ変わったばかりの場合もあると思います。

まずは、子ども同士よりも先生と遊ぶことを楽しくならないと、お友達と遊ぶ事は楽しく感じないので、せっかくの仲介が空回りしています。

人を好きになること、自分が好かれていると感じること。普通にできそうな所でつまづいているお子さんがいます。

今一度そこに、目を向けて頂けたら、より子どもを理解出来るのではと感じています。

季節柄のこと

子どもって大変だなぁ。

よく思うことです。大人になると変化は少なめですが、子どもの時代は、毎年環境が変わります。

クラスのメンバーが変わる、担任が代わる、通う場所自体が変わる、色んな変化がありますよね。

うちの児発でも、最近体調を崩してお休みするお子さんが増えていました。きっと、環境が変わって、気疲れするのもひとつの要因かなと思っています。

今年もコロナで、あまり出掛けられないので、ゆっくりと休んでほしいなと思ってます。

でも、おうちでゆっくりとなんてしてられないのが子どもで、気を許している家だからこそ、のびのび、自分のペースで、自分が好きなようにとなりがちで、周りで見ている大人はイライラしますよね。

いけない時は叱って結構です。

だって、ダメなことしてるんだもん。

ただ、怒ると大人自信が感情のコントロールがしなくくなり、必要以上に責めてしまったり、長々言ってしまったりで、自己嫌悪になってしまいます。

子どもは、大人の持ち物でないことや、言う通りに行くわけないなんてこと、世のお母さんやお父さんは充分知っていて、そんなこと分かってるよって感じだと思いますが、今1度冷静に振り返ってみてくださいね。

家の中、カオスになったら、一旦離れる時間を取るとか、自分を追い込まないようにしてくださいね。

それには、協力してくれる人の確保ですよね。

子どもも外で気を遣って疲れてる。そう思うとちょっと愛おしくなりませんか?子どもが家でやりたい放題なのは、外で頑張っているから。大人も疲れてるから、一緒に発散しちゃおう!家が多少汚くなるのも仕方ない。

発散出来たら、子どもも、大人もスッキリ落ち着くはず。一緒に発散しちゃって、子どもと共感出来たら、そのあとの片付けも手伝ってくれるはず。大人と子どもの共感、子どもが大人を自分とおんなじって思えば自ずと大人がやってる家事もやりたくなるはず。ちなみに子どもとやると、倍時間がかかることもあるけど、それもよき。

少しでも、子どもの良いところに目が向けられたら、お互い楽しいし、精神衛生上、いいですね。些細なお手伝いでいいんです。

出来ること、ギリギリの線を狙えたら尚いいですね。それが出来たら、当然嬉しいし、出来なくても、頑張ってやってくれたことを認める。失敗したくない、怖いお子さん多いので、次に繋げること、出来なくても褒められる体験、それが自己肯定感に繋がるのです。

お子さんが、自分って悪くないな、良いとこあるなっていうことを、沢山体験させて欲しいと思います。

 

今思うこと、つらつらと。

久しぶりの更新です。

引っ越しと仕事が繁忙期で、なかなかゆっくり書ける時がありませんでした。

引っ越したことで少し通勤時間が長くなり、本を読んでいます。

コロナ前はたまに講演会とか研修会に行っていたのですが、行けていなく、本を読むことでいろいろ思い出している感じです。

読んでいる本は、私のゼミの先生、近藤直子先生の本なのですが、私の根本を思い出すものとなっています。

子どもはみんな、成長したいと思っていて、成長する力を持っていて、かわいい存在だということです。

子どもがかわいいというのを忘れていたわけでは無いのですが、日々の業務に追われて忘れかけていた気持ちを思い出しています。

子どもを見る時、発達検査の結果を見て、それを元に発達年齢を考え、それに合わせて療育するわけですが、そこにとらわれすぎていないかなと自己反省したわけです。

子どもはそこにずっととどまっているわけではなく、常に前に進もうとしています。

それを生かすも殺すも周りの大人次第だと思うわけです。

この子はこのくらいの遅れがあるから、ということを把握しつつ、そこから成長するためにどんなアプローチをするか。

それは、それぞれ子どもによって違うのですが、共通するのは、いかに楽しませるか、やる気にさせるかだと思います。

拒否が多い子どもにも、何か理由があって、拒否をするから、ほんとにやりたくない(成長したくない)訳では無いことを理解して、理由を把握することや、楽しい気持ちになって、乗せるためにはどうしたら良いかを考える必要があるのです。

今はちょうど新年度が始まって、環境が変わることも多く、不安が大きくなる時期です。

そんな時に、心の拠り所となる人や場所をいち早く見つけることが安定への近道となります。

それには、近くにいる大人が子どものことをよく理解してあげることが大事ですよね。

理解してもらえることが、子どもの1番の原動力になります。

大人が拒否する子どもをめんどくさいと思ったり、自分に従わせようという気持ちがあると、子どもは感が働くので、どんなに優しそうな言葉をかけて、顔が笑っていても、感じるのです。

自閉症スペクトラムのお子さんも、感じます。

空気読まないと言われてますが、そうした感覚は優れています。

好きこそ物の上手なれという言葉がありますが、好きでこそ、楽しいことだからこそ、身についていくし、やりたい気持ちも出ます。

いかに楽しくということを考えながら子どもと関わらないと何も進まないです。

噛み合わすのは大人の役割です。

子どもができないのではなく、大人が出来ていないのです。

自分にも言い聞かせつつ、つらつら書きました。